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シリコンバレーを超える日は来るのか?|拓殖大学国際学部准教授 椎野幸平   第2回

全3回にわたる、インド経済の実態に迫る連載の2回目の今回は、まずインドの貧困問題について迫っていきたいと思います。

お話を伺うのは、昨日と同じくインド経済の専門家、椎野先生です。

椎野幸平(しいの・こうへい)
拓殖大学国際学部准教授。青山学院大学国際政治経済学部修士課程修了(国際経済学修士)。1994年ジェトロ入会、国際開発センター(IDCJ)開発エコノミストコース修了、ジェトロ・ニューデリー、海外調査部国際経済課課長代理、ジェトロ・シンガポール次長(調査担当)、海外調査部国際経済課長を経て、2017年4月より現職。

スラムはなぜ生まれたか?

——前回「飢饉を防いだ」という話が出ました。しかしインドといえば、まず思い浮かぶのがマハラジャの宮殿、そしてスラム街です。貧富の差が激しい印象がある。なぜそうなったのでしょうか?

椎野幸平氏(以下、椎野):
「まず誤解してはいけないのは、所得分配の不平等さを測る『ジニ係数』を見ると、インドの格差は大きくないという点です。

格差が大きく見えるのは、絶対的貧困層が多いからです。

絶対的貧困層が多い理由はさまざまですが、工業化の進展がまだまだの水準にあり、余剰な雇用を吸収しきれていないことが指摘できるでしょう。

また、農業についても気候が、東南アジアほど農作物の生産に適していないという点が挙げられるでしょう。そもそも雨が少ないのです。

また、デカン高原などに穀倉地帯はありますが、灌漑率がまだ5割くらいで、天然の雨水に頼っている状態です。

さらに、東南アジアや南アジアの国々と比較すると教育レベルに差があります。

インドでは基礎教育が伝統的に軽視されてきたのです。東南アジアは多くの国で識字率は90%以上ですが、インドはいまだに70〜80%程度です。字が読めない人が多いのです」

——教育軽視は、風俗や宗教が関係しているのですか?

椎野:
「考えられるのは、カーストの影響です。

日本であれば、たとえ貧しい家に生まれても、勉強して立身出世を果たすという夢を描くことができました。

しかし、カースト制度は階級間の流動性を下げると同時に、教育へのインセンティブを下げてしまったのではないかと思うのです。

ただし、現在のような高度成長が続けば、当然成功者が増えるはずです。そうなれば、教育へのモチベーションも上昇するのではないでしょうか」

——カーストはまだ残っているんですか?

椎野:
「ビジネスの現場で感じることはあまりありません。憲法上もカーストによる差別は禁止されています。

ただ、結婚などのプライベートな世界になると、社会慣習として残っています。

さらに、特定のカーストたちが支持する政党もあります。そういう政党は、州議会や国の議会で一定の支持を得ています。」

——経済の話に戻りましょう。インド経済が停滞した理由として、政治の影響はあったのでしょうか? たとえば経済政策の失敗とか。

椎野:
「先程、お話した通り、インドは独立後の1947年から1991年までずっと社会主義的な計画経済を実践していました。

この間に、中国や東南アジアといった他の新興国に差をつけられたのです」

——1991年に計画経済を放棄した理由は?

椎野:
「経済危機に追い込まれたからです。外貨が払底してしまったんです。1991年に中東で湾岸戦争が勃発した影響です。

原油価格がはね上がり、外貨準備高が輸入の2週間分にまで減少してしまいました。通常、外貨準備高は3か月分ほどあればなんとかなるものです。しかし0.5か月分はデフォルト寸前です。

この時、危機を打開するために、国際機関などからいろいろなかたちで外貨の融通を受けました。そして、経済の自由化を実施せざるをえなくなった、というわけです」

インド経済の弱点と強み

——先ほどもお話が出ましたが、現在のインド経済の一番の弱点というのはエネルギーという理解でよいのでしょうか?

椎野:
「マクロ経済面ではエネルギーだと思います。次は社会インフラです」

——逆に強みは? 現在の右肩上がりはどんな産業が支えているのでしょうか?

椎野:
「最近のインドについて少しでも見聞きした人なら、すぐに思いつくのがIT分野だと思います。しかし近年急に伸びたのではなく、1980年代から少しずつ力を蓄えていました。

有力企業としては、19世紀から続くタタ財閥のグループ企業である、タタ・コンサルタンシー・サービシズ社(TATA Consultancy Service:TCS)、1980年以降にIT分野に進出したウィプロ社(Wipro Technologies Limited)、インフォシス社(Infosys Limited)でしょう。

とくにインフォシス社は、1981年に7人の若者と数百ドルの資本金で創業。今やインド第3位の企業に成長しました。

これらのソフトウェア産業は、米国などの巨大企業から受注してプログラムを製作するBtoBが一般的でした。ところが最近は、BtoC分野で、いわゆるスタートアップやユニコーン企業が誕生しています。

有名なのは、配車アプリのオーラキャブス社(Ola Cabs、運営会社はANIテクノロジーズ)や電子決済/商取引のペイティーエム社(Paytm)などです」

——私たち日本人にはまだ馴染みのうすい企業です。

椎野:
「オーラキャブス社が提供しているはUberと同じ配車アプリです。

インド工科大学(Indian Institutes of Technology:IITs)の卒業生の2人がはじめたサービスで、現在、インドでは、このオーラキャブス社とUberのアプリが激しく市場で戦っています。

さらに日本の電子決済システム『PayPay』は、ペイティーエム社の技術を用いています。中国のアリババと日本のソフトバンクが大規模な出資を行っています。

また、ホテル予約サービスを運営するオヨ・ルームズ社(OYO rooms)もあります。

このようにBtoCのスタートアップ企業は、インドの成長分野となっています」

——IT分野はたいへん活況だということですね。それ以外は?

椎野:
「もうひとつは自動車製造業です。400万台規模の国内市場があり、外資系に加えて、タタ・モーターズ(Tata Motors)やマヒンドラ&マヒンドラ(Mahindora & Mahindra:M & M)などが健闘しています。

こうした自国企業が力を持っているというのが、インドの自動車産業の面白いところです。

400万台といえば東南アジア全体と同規模の市場ですから、輸出ができるくらいに競争力のある産業として育ってきています。

 さらに昔から強いのが医薬品です。

医薬品産業には新薬開発メーカーとジェネリック医薬品メーカーがありますが、インドはジェネリック医薬品の分野で強みを発揮しています。

というのは、2004年まで医薬品は物質ではなく製法に特許が与えられていたので、製法を変えれば同じ成分の医薬品を製造販売でき、インドの医薬品メーカーはその制度を利用して売上を伸ばし、ジェネリック分野で力をつけてきました」

——重化学工業は?

椎野:
「鉄鋼などの素材産業は一定の競争力があります。最大手はタタ・グループのタタ・スチール社(Tata Steel)です。

化学産業では、タタ・グループに並ぶ財閥のひとつであるリライアンス・グループのリライアンス・インダストリーズ社(Reliance Industries)ですね。

リライアンス・グループは故ディルバイ・アンバニ氏が一代で築いた巨大な石油化学メーカーです。今は金融や小売業など多角経営を行っています。

 一方、あまり育っていないのがエレクトロニクス産業です」

——それはなぜでしょう?

椎野:
「インドは歴史的に、国を挙げて重化学工業に力を入れてきましたが、エレクトロニクス産業にあまり力を入れてきませんでした。

一方、中国や東南アジアは速い段階からエレクトロニクス産業の巨大なサプライチェーンを築き上げてしまった。インドは乗り遅れてしまったのです。

また、インドには中国や東南アジアより地理的に不利な面があります。地図を見ればわかりますが、インドは日本や米国などの先進諸国から遠いのです。

アジアのエレクトロニクス産業は輸出主導で成長してきましたが、こうした物理的な距離も、インフラの未整備などの要因とともに、エレクトロニクス産業が育っていない一因であると考えています。」

——それで距離が関係ない、IT産業に傾注したわけですね?

椎野:
「はい。1980年代はまだインターネットがありませんでした。政府が主導して衛星通信の回線などのインフラ整備を行いました」

なぜインド人は数学に強いのか?

——しかし、いくらインフラを整えても、人材がいなければIT産業の強化などできません。

椎野:
「工科系の高等教育だけはものすごく進んでいました。象徴的なのがインド工科大学(Indian Institutes of Technology:IITs)でしょう。

インド工科大学は工学・科学技術系の国立大学で、全国にあり、現在は、多くの世界的なIT企業に人材を供給しています」

——おっしゃったように、数学の高等教育も盛んです。しかしそれだけで、あれほど頭のいい人たちがポンポンと出てくるものでしょうか?

そもそも人口が日本とは違うというのもありますが、それを差し引いても、現在、世界のIT企業で働くインド人の質と量はすごい。なぜこんなことが起きたのでしょう?

椎野:
「なぜあれだけ数学のレベルが高いのか。よくいわれるのが、2桁の『九九』を小学生に教える授業を行うほど、理系の知識になじみが深い国民性である、ということです。

しかし、それが今日の高度成長につながっているのかと問われると……。

工科系の大学教育を重視した理由の1つは、先ほど述べたように閉鎖的な経済政策のもとで重化学工業の輸出を重視し、素材産業を国産化することを目標にしてきたからです。

そのために工科系の高等教育機関を整備した。それがある日、ITという新しい産業が欧米で勃興し、たまたまそちらにも役立った、というのが本当のところではないでしょうか」

——英語が話せることも有利に働きました。

椎野:
「英語は、当然ながら、イギリス東インド会社が設立された1600年から、イギリス植民地時代までの影響が大きいでしょう。そうした中で英語がインド人一般に広がりました。

こんな歴史的背景もまた、世界を股にかけるIT産業においては有利に働いたというわけです」

インフラが整い、英語が話せて高度な数学の知識を有する多くの優秀な人材が揃っているインドにおいて、IT産業がますます隆盛している。

これからのインドには、輝かしい未来が待っているのでしょうか?

最終回の次回は、世界におけるインドの重要性についてお聞きしたいと思います(つづく)。

急成長インド経済の土台にあるもの|拓殖大学国際学部准教授 椎野幸平 第1回
シリコンバレーを超える日は来るのか?|拓殖大学国際学部准教授 椎野幸平 第2回
日本はインドと、どう付き合うべきか?|拓殖大学国際学部准教授 椎野幸平  第3回

取材・文/鈴木俊之、写真/荻原美津雄、取材・編集/設楽幸生(FOUND編集部)

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