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外食産業「むかし」と「いま」|亜細亜大学経営学部 横川潤 第1話

取材・文/鈴木俊之、写真/荻原美津雄、取材・編集/設楽幸生(FOUND編集部)

昭和の時代、「レストラン」という言葉の響きには夢とロマンがありました。

お子様ランチやオムライス、ルーとご飯が別々に盛られたカレーライス。庶民にとってレストランは、食のテーマパークでした。

それからマクドナルドが上陸し、「早い、安い、旨い」の牛丼屋が庶民の胃袋を支え、今は種々雑多なレストランがあちこちに並んでいます。

そして日本の外食文化は、海外からも高い評価を受け、多くの企業が海外へ進出しています。

そんな日本のお家芸ともいえる外食産業の昔と今、そしてこれからを、外食産業マーケティングの第一人者である、亜細亜大学経営学部 ホスピタリティ・マネジメント学科の、横川潤 教授にお話を聞きました。

横川潤(よこかわ・じゅん)
1962年長野県諏訪市で生まれ、東京都国立市で育つ。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科教授。慶大法学部法律学科卒、同大学院修了後、1988年~1994年NY在住。ニューヨーク大学スターンスクール・オブ・ビジネスでMBA取得(マーケティング専攻)。主著に『錯覚の外食産業』(商業界)『絶対また行く料理店』(集英社)『東京イタリアン誘惑50店』(講談社)『美味しくって、ブラボーッ!』(新潮社)など。日本フードサービス学会副会長。


日本の外食産業小史

――今、外食産業はどんな状態ですか?

横川潤氏(以下、横川):
「まずは日本の外食産業の流れをご説明しましょう。

日本の外食産業は、1970年7月にすかいらーく1号店(東京・国立)が誕生したのがはじまりといわれています。

その後、同年11月にケンタッキー・フライド・チキン1号店(愛知・名西)、1971年にはマクドナルド1号店(東京・銀座)が大きな話題となり、本格的な外食産業の時代が到来しました。

ほとんどの大手外食チェーンは1970年から3年以内に誕生しています。その後、業界は80年代にかけて空前の成長を遂げ、29兆円を売り上げた1997年にピークを迎えたというのが大まかな流れです」

――バブル崩壊は1991年から93年と言われています。外食産業はその時も元気だったんですね。

横川:
「バブル崩壊後も元気だったのは、和民やモンテローザによる『居酒屋ブーム』があったからです。

しかしその後、ゆるやかに落ち込み、2011年には22兆円台となりました」

――落ち込んだ理由は?

横川:
「『中食』(総菜や弁当を買って家で食べる習慣)の定着に押されたからです。コンビニ業界はこの後、10兆円産業に成長しました。トップのセブン-イレブンだけで4兆円規模です。

しかしその後、2015年には25兆円台まで回復し、この数年は堅調に推移しています」

――この数年、下げ止まったのはなぜですか?

横川:
「スシローとくら寿司の2社を中心とする『回転ずし』がけん引したからです。

外食産業の先駆者だったファミリーレストランは、『家族で食事をしてもらう』というのが成功モデルでした。

ところが、1992年にガストが登場し、その運営形態が広がるにつれて、ファミリーレストランからファミリーが減っていきました。それを取り込んだのが回転ずしです。テーブル席が多いのはそのためです」

ファミリー層をどう取り込むか?

――ファミリー層を獲得できるかがキーポイントなのですね?

横川:
「ファミリー層の動向は業界を左右します。

たとえば、2008年に起きたリーマンショックの時期は、一時的にマクドナルドとすき家の業績が上向きました。生活防衛のために財布のひもをしめたファミリー層がなだれ込んできたからです。

その頃、マクドナルドへ行くと家族連ればかりでした。回転ずしが台頭したのは、このマクドナルドとすき家の売上が落ち着いた後です」

――現在はどんな店が流行っているのでしょうか?

横川:
「焼肉、とんかつは根強い人気があります。ごく最近で言うと、鶏のから揚げです。日本人が昔から知っているメニューが強いという傾向があります。

スーパーフードやハワイ発のコンセプトも人気ですが、業界全体の動向を左右することはないでしょう」

――店舗形態にはどんな傾向が?

横川:
「昔はファミリーレストランに代表されるように、何でも置いてある店が多くありましたが、現在はとんかつだけ、鶏のから揚げだけ、といったメニューを絞った店舗が受けているようです。専門店のチェーンですね」

――一方、回転ずしはいろいろなメニューを揃えています。流れに逆行しているということですか?

横川:
「たしかにそうですね。最新のトピックとしては、くら寿司でハンバーガーを売り出すそうです。

ただし、ハンバーガーはあまりにもすしという商品から外れている。

かつて、うどんは受け入れられました。ラーメンも失敗ではなかった。

しかしハンバーガーとなると『おいしくないんじゃないの?』と本能的に感じるのではないでしょうか。

やはりみんなは、すしを食べに来ているのですから。ストアイメージを傷つける可能性すらある」

――うまくいかないということでしょうか?

横川:
「これはあくまで私の私見ですが、成功する可能性は低いと思われます。ただし、くら寿司はとても賢い会社です。失敗したらすぐに手を打つでしょう。

でもこのようなこころみをするのは、やはりファミリー層を取り込むのが目的です。子供はすしをそれほど食べられませんから。

この客層を広げたいという目的と、すし店のストアイメージとのジレンマの渦中に、くら寿司はいると思います。

回転ずし業界は踊り場に来ていると思います。今までのやり方では、これ以上伸びることはないでしょう。

スシローも新たな展開として、東京・赤坂などに高級店『ツマミグイ』を出店しました。これはすでに全店閉店しています。

数年来、業界を引っ張ってきた回転ずしの伸びが止まったことで、外食業界は次の一手を模索しているというのが現状です」

――やはりファミリー層がポイントとして挙げられています。外食産業の客層の変遷を教えていただけますか?

横川:
「今では考えられないことですが、家族で食事をするという習慣が日本に生まれたのは、この50年です。

私は東京郊外に育ちましたが、子供の頃ファミリーレストランが出来るまで、家族でまともな外食をした記憶がほとんどありません。

お母さんの調子が悪いから店屋物をとろうとか、お父さんの帰りが遅いから近所のラーメン屋に行きましょうとか、その程度だったんです。

それが変わったのが1970年代です。70年代前半は『家族でレストランに行く』ことがステータスだった。

ところが1980年代半ばになると、ファミリーレストランが家族連れの場から若者のたまり場に変質していきます。この時、カプリチョーザなど新興チェーンが台頭しました。

さらに時期は定かではありませんが、一人客が増えてきた。回転ずしはもともと一人客が多かったですし、吉野家などには女性の一人客が増えてきた。

業界では今、女性の一人客をいかに取り込むかをとても気にしています。ただしなかなか成功していません」

ここ50年で、様々な形態の外食店舗が生まれては消えていきました。

そして様々な企業が色々なアイデアを駆使し、時代と合わせながら日本人の舌に合うレストランを生み出してきました。

そんな外食産業業界の「今」は、どんな問題を抱えているのでしょうか? 次回はそのあたりをお聞きしたいと思います。

(つづく)

外食産業「むかし」と「いま」|亜細亜大学経営学部 横川潤 第1話
「インフラ」となった日本の外食産業|亜細亜大学経営学部 横川潤 第2話
外食産業、新たな可能性と問題点|亜細亜大学経営学部 横川潤 第3話
これからの外食産業に必要なこと|亜細亜大学経営学部 横川潤 第4話

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