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心はどこにあるのか? 【人工知能にまつわるコラム】

当コラムは、栗原 聡 氏(慶應義塾大学理工学部教授)のインタビュー取材に同行したFOLIOスタッフが綴る取材後記です。今回、筆をとったのは、FOLIOが誇るクオンツの廣瀬達也です。「人間をつくりたくて、人工知能の研究をしていた」と語る男は、「人工知能」の取材に何を思ったのでしょう?

廣瀬達也/
京都大学理学部数学科卒。20年間、京都で育つ。大学卒業とともに上京。2014年、株式会社サイバーエージェントでサーバーサイドエンジニアとしてプロダクト開発に従事したのち、2016年1月に、株式会社FOLIOを共同創業。現職では、FOLIOのクオンツエンジニアを務め、運用アルゴリズムの開発や業務への機械学習の導入を行なう。「大学では数学を専攻していましたが、"人間"を作りたくて一時期は人工知能の研究もしていました。仕事では金融商品の組成と分析をしています。」

文/廣瀬達也

人間を作りたい。そう思ったとき人工知能はどこまで貢献できるでしょうか?

「人間は考える葦である」とパスカルが言ったように、人間の考える能力は確かに特別なものです。

しかし知能を突き詰めた先には人間が持つ「感情」や「心」といったものも果たして在るのでしょうか?

「機械学習」は「人工知能」に含まれる分野の一つであり、知能の中でも学習する能力を機械で実現しようという試みです。

数ある分野の中でも精力的に研究されていて、いくつもの冬の時代を経ながらも、これまでには目覚ましい発展を見せてきました。

今日の機械学習は「翻訳」や「画像認識」など、今まで人にしか出来なかったようなタスクを高い精度でこなせるようになってきています。

そしてその技術は企業などに導入され質の高いサービスの実現につながり、我々の生活をより豊かにしてくれています。

しかし「個々のタスク」をどんなにうまくこなせるようになったとしても、それを「知能」だと呼べるかどうかは別問題でしょう。

「個々のタスク = 知能」 ではない

 『FOUND』でインタビューを敢行した栗原 聡先生(慶應義塾大学理工学部教授)の話によればそこには大きなギャップがあるといいます。

例えば通常の「機械学習」は「与えられた目的」をうまく達成できるように学習します。

◯ 与えられた目的 x 機会学習 =達成
X  機会学習 → 目的自体の生成

しかし、目的そのものを作り出すことは出来ません。

好奇心を持って、次に何をしたいのか、目的を考えることのできる人間の知能を実現するためには、まだ何かが足りないようです。

好奇心は目的をつくり出すことがあります。好奇心の最後にもついている「心」。心は一体、どこにあるのでしょう? 私たちは心というものを、どのように認識するのでしょう? そもそも心というものは、何を指していうのか?

もしも人工知能が完成したとします。そして、その人工知能が人間の形を備えて、語りかけてきたとします。

その人工知能は、台所に立って料理を作ってくれる。すると、それを目にした私たちは、その人工知能にあたかも「心や感情」というものがそこに宿っているかのように錯覚し、認識してしまう。たとえ、そこに、知能以外は何も無かったとしても…。

人間の知能に宿るとされる心というものは、とてもおぼろげなものなのではないでしょうか?

人工知能が完成したその時にこそ、私達は当たり前に感じていた心や感情の在り処を改めて問い直す必要に迫られるのかもしれません。

※ 慶應義塾大学理工学部教授・栗原 聡教授インタビューはコチラでお読みいただけます。

目次
第1回 ぼくたちは本当に人工知能を理解しているのか?
第2回 人工知能と生きる未来