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目先の結果ばかりに囚われてはいけない|慶應義塾大学大学院理工学研究科・鹿野豊 後編

前回、鹿野先生に、
「ハードウェアーの開発も大切だけれど、ニーズを探すのもとても大切だ」
というお話を聞きました。

この「ニーズを探す」というのは、誰がどうやって探せばいいのでしょうか?

やはりここも専門家の手に委ねればいいのでしょうか?

人工知能と量子コンピューター、いよいよ連載最終回です。

鹿野豊(しかの・ゆたか)
慶應義塾大学大学院理工学研究科 特任准教授。1984年神奈川県生まれ。2011年東京工業大学大学院理工学研究科基礎物理学専攻博士課程修了。博士(理学)。自然科学研究機構 分子科学研究所 特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター 特任准教授を経て、現職。アメリカ・チャップマン大学量子科学研究所の准メンバーでもある。2018年より慶應義塾大学量子コンピューティングセンターが発足し、IBM Q Network Hubに選定され、その活動に携わっている。

文系人間こそが量子コンピュータを進歩させる

――私たち人類は、問題や困難に直面したら、その解決策を考えるということを繰り返して、文明を築いていきました。

しかし、何に使うかという「目的」よりも先に、量子コンピュータという解決策が完成してしまった、ということなんですね?

鹿野:
「最近よく話題にのぼるAIも、スーパーコンピュータも同じです。

表現はよくないですが、ユーザー側は『いいのができたら食べさせて』って指をくわえて待っているだけなんです。

でも、研究者やエンジニア、プログラマーではなく、一般の人たちがもっと知恵を出して、みんなで考えれば、さらにおもしろいことができると思うし、ここにこそ、頭を使うべきなんですね」

――しかし、私たちには、コンピュータが何をしてくれるかなんてわかりません。

鹿野:
「それでいいんです。よく聞くのが、『自分は機械のことは文系だからわからない』という声です。

しかし、私は逆に、理系の人間には、コンピュータが解くべき問題を発見する役目は果たせないかもしれない、と考えています。

なぜなら、問題を解くより発見することが重要だからです。

たとえば、プログラマなどは、誰かが問題を与えて初めて、本領を発揮できる。

だから人にもよりますが、彼らに作りたいものを作らせると、箸にも棒にもかからないようなアプリやプログラムが出来てしまう場合があります(笑)。

誰に届けるのか、というニーズがはっきりしていないからです」

――考えたこともありませんでした。

鹿野:
「この作業は、コンピュータの知識がなくても、誰でもできる。というか、一日中、専門分野の世界にどっぷり浸かっている理系の人より、むしろ、文系の人のほうが活躍できると思います」

――一般の人は、コンピュータやプログラムなんて、数学の得意な頭のいい人たちが作るもので、私たちはその枠の中でやりくりするものだと考えていますから。でも、本当にできるのでしょうか?

鹿野:
「問題を見つけるのは、それほどむずかしいことではないと思います。

むずかしい点があるとすれば、『この問題はコンピュータで解決できないか』という意識を、日々持ち続けることです。

これにはトレーニングが必要です。だから『数学は苦手』とか『物理はきらい』とか言って、最初から遠ざけないでほしい。

『よくわからないけど、コンピュータでこういうことはできないか?』
『こんなことができたら、日々がもっと楽しくなるんじゃないか』
とか、そんな風になってもらえるといいんです」

意識を変えていくのは、研究者の発信とメディアの力

――実現させるには、みんなのアイデアと、コンピュータの専門家やプログラマとをつなぐ仕組みが必要では?

鹿野:
「そういう仕組みや、両者をつなぐ人がどんどん増えなければいけないと思っています。

一般の人でも使えるようなユーザーインターフェイスの構築や、潜在している需要を発掘できるようなツールを作成するなど、準備しなければならないことは山ほどあります。

また、私たちのような研究者は、
『最新技術を研究している』
『すごいスペックのマシンが生まれた』
といった技術的な発信を好む傾向にあります。

しかしそれは、往々にしてネガティブな方向に作用していると感じています。

技術を語れば語るほど、市井の人たちは逃げていくんです。『数字アレルギー』だとかいって。

だから私も飲み屋では、自分の素性を隠しています(笑)」

――気持ちはわかります。日常生活には関係ないし、なぜか怖いなと思ってしまうこともある……。

鹿野:
「だから、メディアの役割も大きいんです。『理系』『文系』を意識しすぎだと思います。

量子コンピュータの内部で何が起きているかなんて知らなくていい。それは専門家の仕事です。

でも、コンピュータというのは、問題を入力してあげなければ、ただの箱にすぎません。

その問題を発見できるのは、専門家ではなくて、みなさんなんです。

『Gods in the details』という言葉があります。日本語で言うと『神は細部に宿る』。

1956年にAIプログラムを初めて発表したアレン・ニューウェルは、この言葉を下敷きにして『Science is in the details』と述べています。

つまり、科学は特別なものではなく、日常の細部にあるのだということです。

コンピュータの研究は特別なことではありません。

実際は、たいへんチープで思いつきのようなレベルから始まり、それを徐々に大きくしているだけなんです。その点をぜひわかっていただきたい」

目の前の小さなニーズから始めよう

――とすると、現状をたとえて言うなら、「コンピュータという大きな船を作ったぞ。みんな乗れ!よし、みんな乗ったな!で、どこへ行く?」なんですね?

鹿野:
「その通りです。そして目的地のヒントは、みなさんの日常にある。

飲み屋でくだをまく会社員たちの愚痴、スーパーの駐車場でたむろしている買い物客同士の噂話……。なんでもいい。

たとえば、
『スーパーのレジに長い行列ができている。人手不足だから開いているレジが少ないのだろう。何とか解決できないものか。待てよ、本当にレジに人は必要か?』

そんな発想から、無人レジが開発され、スウェーデンではすでに実用化されている。

これが量子コンピュータを通してやりたいことなんです」

――そんなことなら思いつきそうです。

鹿野:
「ただし、これを実現するにはコンピュータだけ走ってもだめです。

センサーやアクチュエータの開発も同時に進めなければいけません。それもむずかしい課題です。

前回、金融業界は量子コンピュータの導入に適していると言いましたが、その理由は、金融の仕事は、センサーやアクチュエータの占める割合が小さいからだと思います。

また金融が扱うモノは、物理的な存在より概念的な存在のほうが多いので、相性がいいということもあるでしょう」

――金融以外にそういうものがありますか?

鹿野:
「どうでしょう?概念的なので哲学とか(笑)。

しかし、私たち研究者がつい忘れがちなのが、最終段階でかならず人間が登場するということなんです。

あきらかに現在、現実世界と仮想空間の境界線が揺らぎ始めていますしね。

たとえば、いちいち現金のやりとりをしなくていいじゃないか、ということでビットコインが生まれたし、モノの売買もすべて仮想空間で終えてしまおうという意見も、今後は強くなるでしょう。

それを実現するだけのインフラはすでに整い、さらに発展していくわけですから。

だからこそ、『人間の』アイデアが必要なんです。それも技術者の独りよがりではなく、一般の人たちのアイデアです。

ですから、アイデアがどんどん出てくるような、仕組みや社会の雰囲気づくりが大切です」

――その仕組みは、まだ準備段階ということなんですね?

鹿野:
「やはり、最初から大きな仕掛けをつくり、ニーズを集めるようなことはむずかしい。だからといって、何もしないのはおかしい。

こういう話はどうでしょう?

バングラディッシュで始まったグラミン銀行は、貧困層を対象にした低利子無担保の『マイクロファイナンス』を行う金融機関です。

この仕組みを立ち上げたムハマド・ユヌスさんは、

『目の前の一人を救えないのなら、誰も救えない』

と言ってマイクロファイナンスを始めました――。

今は、これと同じ発想が必要だと思います。

目の前の人がおもしろいと思ってくれない商品やサービスを提供できなければ、その先にいる潜在的なユーザーを納得させることはできないのですから。

だから、『仕組みがないからできない』のではなく、まずは一人一人が始めていけばいいと思います。そして、これを準備期間だと考える。

そうすれば、将来の大きな仕掛けや、それが達成する明るい未来に近づいていけるはずです」

失敗を許すコミュニティが、未来への準備を促す

――たしかに準備は大切です。

鹿野:
「成功した企業やプロジェクトはちゃんと準備をしています。

量子コンピュータなどの技術の世界も同じで、いかに準備をしたかで勝敗がわかれる。

しかしこの、『準備ができるか否か』は、『結果が伴わなくても支え続けてくれるコミュニティがあるか否か』に依存します。

失敗して、回収できなくても、そこを我慢して『これも準備のひとつだ』と考える。

そうしないと、準備が進むわけがないし、人も育たないし、当然、成功などおぼつきません」

――何となくわかる気がします。

鹿野:
「ところが今は、失敗を許さない風潮がある。

早く結果を見たい、早く利益を回収したいという気持ちが強すぎて、準備のサイクルが短すぎるんです。

気持ちに余裕を持たなければいけません」

――そうは言っても、みんな忙しいし、ノルマはあるし、悠長に待てないと批判されたら?

鹿野:
「目先の結果にばかり囚われていたら、どんな分野だって、すぐにだめになるのは、誰でもわかっているはずです。

そちらへ行きたいのですか、ということです。

しかし、たしかに私が所属する大学だって同じようなものです。

でも、大学の使命は、目の前のニーズを解決するだけでなく、『夢の未来像』を提示してあげることにもある。それを捨てるわけにはいきません。

だからこそ、こういう場を借りて、一般のみなさんにも関心をもってもらえるような、本当におもしろいことを発信しなければいけないと考えています。

興味や関心が集まれば、『おい、もうちょっと待ってやろうじゃないか』となりますから」

――だんだん明るい気持ちになってきました。

鹿野:
「量子コンピュータの研究者の立場から、みなさんにお願いしたいのは、『誰か専門家がやってくれる』という受動的な姿勢でなく『みんなで作り上げていこう』という能動的な姿勢をもってほしいということです。

その際、たとえば昭和や平成時代の未来の象徴が『鉄腕アトム』や『ドラえもん』だったように、『量子コンピュータ』が令和時代の未来を象徴する旗になればいい。

量子コンピュータの開発には、単なる技術競争だけでなく、このような意味があります」

――量子コンピュータのことは時々、ニュースで目にしていました。

しかし物理、数学というだけで遠ざけていた気がします。

本日のお話で、それが一気に身近な存在となりました。ありがとうございました。
(おわり)

取材・文/鈴木俊之、写真/荻原美津雄、取材・編集/設楽幸生(FOUND編集部)

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