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とあるメディアを立ち上げた編集長の頭の中 |死んだメディアの屍を越えて、生きたメディアになるために【2019 新年のコラム】

文/鈴木隆文(『FOUND』編集長)

2019年、あけましておめでとうございます!

2019年、明けましておめでとうございます。このメディア『FOUND』は、昨年、2018年に産声をあげました。

つまり『FOUND』にとっては、はじめての新年となるわけですから、編集長として、少々、新年の抱負のようなものを書き連ねてみたいと思います。

題して、「とあるメディアを立ち上げた編集長の頭の中。死んだメディアの屍を越えて、生きたメディアになるために」です。

メディア立ち上げで気がついた上から目線、下から目線の罪

メディア立ち上げは、過去にも何度かやったことがありましたが、「気合い」を入れて、「集中」して、ガガガッーと立ち上げたことは、僕にとっては初めてのことでした。

そして、このメディアを立ち上げるという経験をしてみて、頭の中にひとつ浮き上がってきた考えがありました。それが、「最近の僕は、どうして多くのメディアをつまらない、と感じてしまっているのか?」ということです。

「メディアって、つまらないな」って感じてしまうとき、大体のメディアが「過剰に」大上段からの「上から目線過ぎ」たり、少なくないメディアが「過剰に」読者に媚びを売り過ぎる「下から目線過ぎ」たり、するからなのではないか?

と、僕は考えてみたわけです。偉そうだったり安っぽかったりすること、それが「メディアがつまらない」という印象に繋がっている。

一番嬉しい横から目線、さりげなさ、フラット、ナチュラル

「人間というものは、やたらと上から目線で来られるのも、下から目線で来られるのも実は好まず、さりげなくフラットでナチュラルな横から目線で来られるのが、一番嬉しいのではないだろうか?」と思うのです。

『FOUND』というメディアを立ち上げるとき、「金融コトバのバリアフリー」ということを掲げてみたり、「知っときたいナ、を面白く。」と謳ってみりしたものの、実のところ、メディア立ち上げ及び運営をしていく上で大切なのは、そうしたキャッチコピー的なものばかりではなくて、「さりげなさ」や「フラットさ」や「ナチュラルさ」など、その表現の姿勢なのではなかろうか、とも思うわけです。

嘘のようなものが混じる過剰な上下関係

リアルな人付き合いにしたって同じことが言えて、過剰な上下関係は、やっぱりストレスフルになってしまう。

なぜストレスフルになってしまうかというと、その関係にたゆたう情報には「忖度」や「ポジショントーク」「体裁を整える」という「嘘のようなもの」が混じっている可能性があって、「嘘のようなものの中に埋もれた本当の情報」を分別するのに、脳と心が拒否反応を起こしてしまうからストレスになってしまっている、のだと思うのです。

たとえて言うなら、治安の悪い国に出かけて、あまりにも長い時間、防衛的になっているのって、疲れるじゃないですか?

「過剰な上下関係の中にある情報」というものには、そこに誰かの「意図」や「指向性」が混じっていて、それを避けようとするから疲れてしまうのではないか? と僕は仮説を立ててみたわけですね。そんな状況、純粋には、楽しめないじゃないですか? それは脳と心の拒否反応に繋がっていて、つまらないと感じてしまう、のではないでしょうか。

コンテンツの予定調和と予定不調和

「意図」や「指向性」というものは、「さりげなさ」「フラットさ」「ナチュラルさ」とは正反対に位置するものです。

これを読書という体験に当てはめてみると、意図や指向性に基づいたコンテンツというものは、読者を予定調和のゴールへと導くためのコンテンツだと言えなくもない。

これに対して、「さりげなく」「フラットで」「ナチュラルな」情報発信というものが本当に可能だとするならば、その情報発信をする側の人は、心をフラットにナチュラルに裸にして、読者に何かを強要する代わりに、自分自身も驚いたり、感動したり、怒ったり、泣いたり、笑ったりして、自分の無知さや情けなさも含めて、読者と何かを共有することが必要となってくるわけです。

つまり、それは、読者と共に冒険して、予定不調和な、どこがゴールになるかもわからないコンテンツづくりをする、ということでもあります。

メディアとは

メディアとは、媒体です。何を伝える媒体かと言えば、「心が動く話」を伝える媒体です。幅ったい言い方をするのならば、「感動する、感情が動く記事コンテンツ」を届けるのが究極のメディアの役割になる、僕はそう思うわけです。

そんな役割を果たすためには、そこに予定調和や意図や指向性というものが仕込まれ過ぎていてはいけない。「メディアって、なんか面白くないな」って感じさせるのではなく、「このメディア、なんか違うな、なんか面白いな」って感じさせるためには、その記事コンテンツ自体がさりげなくフラットでナチュラルで横から目線の、等身大の冒険である必要があるわけですね。つまり、それは素直さだったり、純朴さであったり、オープンさに基づいた、嘘のないコンテンツだと思うのです。

死んだメディア

「今のメディアは死んでいる」とまで大げさなことは言いたくありませんが、もし本当にそうだとするならば、媒体、媒介物が死んでいるということになるわけで、これは日本人にとってばかりか、人類にとって、由々しき事態だとも思えてきます。

これをリアルな世界で捉え直すなら、「ゾンビのような魂の抜けた人間ばかりになったなぁ」ということになるし、「最近、嘘ばかり、表面的なことばかり、わかり切ったことばかりを、損得感情の上から目線か下から目線で言うやつばかりが増えたなぁ」と言うことになるのだと思います。

日本中のメディア、世界中のメディアが、「フェイクニュース」ということに毒されてしまったら、僕らは何に感情を動かせるのか?ちょっと怖い事態になってしまいますよね?

『FOUND』の2019年

『FOUND』は、FOLIOというフィンテックベンチャーのオウンドメディアではあるのですが、メディアとしても一級の風を吹かせたいと、心から願っています。

そのためには、どうすればいいのか? 当然、先に書いたように、みなさま、読者の心を動かさないといけないわけです。では、読者の心を動かすためにはどうすればいいのか?

2019年、年越しをしたニューメディアは、このことを考え続けていく義務がある。

その中で、今回、「死んだメディア」にならならずに「生きたメディア」になるための最も大切な要素を原稿を書き連ねながら、炙り出してみたわけです。というわけで、その結果をまとめてみると、次の通りになりそうです。

・上から目線でもなく下から目線でもなく横から目線でコンテンツをつくる
・嘘のないコンテンツをつくり、届ける
・予定調和にならないコンテンツをつくる
・感情が動く記事コンテンツを届ける

そんなわけで、まだ、はじまったばかりのメディア『FOUND』は、何よりも横から目線の、等身大の、嘘のない、予定不調和なコンテンツづくりをして行きたいと2019年のお正月に考えました。

きっと扱うコンテンツはバラエティに富んだものになる予定です。

少なくとも、みなさん、読者に対しては、誠実な情報発信を重ねていきたいと真摯に思っております。

さあ、どんなコンテンツが並ぶのか?どんなメディアになっていくのか? これからの1年間、楽しみに見届けていただけたらそれほど嬉しいことはありません。

最後になりましたが、みなさま、本年もどうぞ宜しくお願いします。

『FOUND』編集長・鈴木隆文