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東南アジアの最注目国・インドネシアの“今”を聞く|JETRO・佐藤百合氏インタビュー・後編

政治の安定や人口の適度な増加により、今後、世界屈指の経済規模をもつ国への成長が期待されるインドネシア。佐藤氏はインドネシア国内の状況の変化を注意深く見守りつつも、国内の人々のメンタリティーは非常に前向きで希望に溢れていると話します。

では、インドネシアはどのような国なのか、また日本からすると両国の関係はどのような形が望ましいのか。第一線で活躍する研究者である佐藤氏に引き続き聞いてみたいと思います。

戦争の傷跡は今なお残る

インドネシアと日本の歴史をみる際、欠かせないのが「占領時代」です。日本は第二次世界大戦の時代、他のアジアの国々と同様に、1942年から1945年までインドネシアを統治占領下に置きました。

インドネシアの人々にとって不幸なその歴史は、教育現場においてしっかりと語り継がれていると佐藤氏は説明します。

佐藤:
インドネシアはオランダ、次いで日本の占領期を経て独立することになりますが、その厳しい戦争の歴史は、小学生や中学生の段階でみなが学校で習うことになります。

当時は非常に厳しい時代だったとして描かれていて、『虎(オランダ)の口から出て、ワニ(日本)の口に放り込まれた』という表現が使われていたこともありました。

日本が戦争時代に強制的に集めた労働者を指す言葉である『ロームシャ(=労務者)』という言葉は、インドネシア現地の言葉として今も残っていて、『カムス・ウムム』という日本の広辞苑のような辞書に載っています。

『泰緬鉄道の建設にロームシャとして駆り出されて帰ってこなかった』、『日本人の司令部をつくるために壕を掘らされた後、首を切られて捨てられた』など、占領時代の生々しい記憶は日本人が想像する以上に語り継がれています

日本への憧れ、はいつまで続くのか?

インドネシアは、1945年8月17日、日本の敗戦からわずか2日というスピードですぐさま独立を宣言します。「オランダや日本の間隙を縫って」(佐藤氏)、あらかじめ独立に向け用意していた憲法を公布して自分たちの独立を主張するのです。

その後、オランダは独立を阻止し再植民地化を図るため戻ってきます。しかし、インドネシアの人々は約5年の独立戦争を闘って、1949年末に独立国家として国際的に承認されることになります。

そして、この後、インドネシア人の日本へのイメージは、「製品」、そして「文化」へと変遷を遂げていくと佐藤氏は指摘します。

佐藤:
「60年代になるとインドネシアに海外からモノが入ってくるようになります。はじめは欧米ブランドでしたが、70年代には日本製品が生活に浸透していきます。バイクはホンダ、自動車はトヨタ、ラジオはナショナル、そのうちテレビはソニーになっていく。

バイク → ホンダ
自動車 → トヨタ
ラジオ → ナショナル(現パナソニック)
テレビ → ソニー

日本製品は性能が良くて長く使える。インドネシアでは、製品を通じて日本への信頼感が醸成されていきます。

そして、80年代には『ドラえもん』、90年代に入ると『クレヨンしんちゃん』、『ドラゴンボール』、『セーラームーン』など、日本のアニメが浸透する。

◆ 80年代
『ドラえもん』

◆ 90年代
『クレヨンしんちゃん』
『ドラゴンボール』
『セーラームーン』

80年代以降に生まれたインドネシア人はアニメを通じて日本という国に触れることになります」

インドネシアと日本の歴史は、占領期の記憶、次いでモノ、最後にソフトを通じて交わってきたと言えそうですが、現在でも日本に対して非常にポジティブな感情を抱いている人々が多いというのが佐藤氏の印象だそうです。

佐藤:
インドネシアの中間層は、頑張れば海外旅行にいけるという段階にまで所得水準があがってきています。

初めて外国に行くなら、日本に行ってみたい、という人々は少なくありません。ちょうど、日本人が欧米に憧れを持っていたのと同じ感覚です。しかし、今後はどうなるか。正直、その憧れがいつまで続くかは分かりません。

というのも、スマートフォンを中心としたデジタルプラットフォームは中国、家電はLG、サムスンなど、生活の端々で中韓の影響が強まっています。このままいけば、日本がリスペクトしてもらえる期間は10年もつかどうか。

中韓は積極的に自国や自国企業を売り込んでいます。日本も他国と同程度に努力していく必要があるでしょう。旅行に来た際に、日本の味覚を味わってもらって、楽しんでもらって、日本の良さを体験してもらえるようにしていかなければなりません。

ちなみにアニメの話はしましたが、ドラマだと韓国、中国、インドの作品も浸透し始めています。文化面でも、日本は発信力を高めていく必要があるでしょう」

大切なのは、相互の精神文化の理解

日本を理解してもらう一方、インドネシアを理解するということも重要になってくるかもしれません。

佐藤氏は、インドネシアは多様性の国であり、人々のエスニシティや宗教も考え方も実に多岐にわたると説明します。

一方で、「ダメモト精神」(佐藤氏)と表現できる、チャレンジ精神が旺盛だとも。

佐藤:
ものごとは95%が失敗するもので、とにかくやってみなければ分からない。そんな、『ダメモト精神』がインドネシア社会にはあるように思います。笑い話ですが、値切り方もすごいんです。

例えば、100円の商品を『5円にしてくれ』と本気で持ち掛けてくる。可能性はゼロではありませんから、彼らにしたら大真面目なんです。

日本人の一般的な感覚だと、『え?そんなの無理じゃないか』と思いたくもなるのですが、結果、最終的に値段が60~70円に落ち着く。ある意味、合理的で、人間的にたくましいなと感じます」

一方で、イスラム教の「インシャアッラー」の世界観に関しては、佐藤氏自身も学ぶことが多いと感じているそうです。これは、他の表現だと「神のみぞ知る」「人間万事塞翁が馬」「ケセラセラ」などに近い感覚でしょうか。

佐藤:
「私自身、自分の道は自分で切り拓ける、もしくはそう信じて行動しようとするタイプだったので、インドネシアで触れた考え方には学ぶことが多かった。明日は何が起こるか分からない。

人智が及ぶ範囲には限界がある。傲慢になってはいけない。謙虚に生きるべきだと。

これから日本人とインドネシア人が互いに精神や文化を深く理解できれば、ビジネスにおいては若い層がインドネシアを舞台にして世界にチャレンジしていくという選択肢も増えていくでしょう。

そんな新しい交わり合いのなかから、両国の新しい歴史が生まれてくればよいなと考えています」

インドネシアの歴史や社会を誰よりも知る佐藤氏は、「正直、どうしようもない社会課題や問題も少なくない」と話します。それでも、日本にとってインドネシアは無視できない国であることは間違いないとも。不幸な戦争の歴史、モノ・ソフトで交わった時代を経て、日本とインドネシアの次なる未来はどのような物語が紡がれていくのか。今後が楽しみです。

佐藤様、貴重なお話お聞かせいただきありがとうございました!

取材・文/河鐘基(ロボティア)、写真/荻原美津雄、取材・編集/鈴木隆文(FOUND編集部)

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