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アニメブームを振り返る |アニメ評論家・藤津亮太 第1回

日本のアニメ文化が、国内はもちろん海外の人たちから高い評価を得ているのは、今では議論の余地もありません。

多くの日本のアニメーションが輸出され、世界中から支持を得ています。そんなアニメ業界ですが、1963年の第1次アニメブームから数えて、今では「第4次アニメブーム」の時代だと言われています。

今までのアニメブームを振り返るとともに、これからのアニメ産業はどうなるのでしょうか?

今回は長きにわたりアニメを研究している、アニメ評論家の藤津亮太さんにお話をうかがってきました。全3回の連載です。

藤津亮太(ふじつ・りょうた)
アニメ評論家。’68年生まれ。新聞記者、週刊誌編集を経て、2000年よりフリー。雑誌・WEB・BDブックレットなど各種媒体で執筆中。著書に『チャンネルはいつもアニメ』(NTT出版)、『声優語~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~』(一迅社)、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』(河出書房新社)などがある。朝日カルチャーセンターでは毎月第三土曜に講座「アニメを読む」を実施している。東京工芸大学非常勤講師。

なぜ私たちは最近のアニメ作品を知らないのか?

――近年、アニメは日本を代表する文化のひとつとなりました。産業としても、インバウンドの上昇に大きく貢献しています。

しかし、そんな事実を誇りに思う一方で、アニメ文化&産業の現状について、一部のマニア以外は、よく知りません。

なぜこのような状態になったのか。まずは、日本のアニメの成立ちを復習させてください。

藤津亮太氏(以下、藤津):
「『アニメ』が一般に知られるようになったのは、1977年に『宇宙戦艦ヤマト』(西崎義展製作総指揮、舛田利雄監督、東映洋画系)の映画がヒットしたのがきっかけと言われています。

本作では、劇場に多くのファンが押しかけ、徹夜組まで出る大騒動となりました。

アニメ自体はそれ以前から盛んに制作されていました。しかし渦中の人たちも世間も、アニメにこれほど多くの熱狂的ファンがいるなどとは思いも寄らなかったのです。

それが可視化されたことでアニメブームに火がつき、翌1978年にアニメ専門誌『アニメージュ』(徳間書店)が創刊されることになりました。

私がアニメを好きになったのは、ちょうどその頃です。

1978年にNHKで放映された『未来少年コナン』、1979年に名古屋テレビをキー局に放映された『機動戦士ガンダム』、同じ年に劇場映画が公開された『銀河鉄道999』(りんたろう監督、東映)。この3作品で、すっかり虜になりました。

このあたりから1984年までが『第1次アニメブーム』だと考えられます。

これより前、1960年代にもアニメの人気が盛り上がった時期があり、これを『第1次アニメブーム』とする説もあります。

しかし、その時はまだ『アニメ』ではなく、『テレビまんが』と呼ばれていた時代でした。よって、私は、1977年から1984年を『第1次』と定義しています」

――第1次アニメブームで、人気のあった作品は?

藤津:
「『ヤマト』『ガンダム』という二大ヒットに続き、1981年の『うる星やつら』(フジテレビ系)、1982年の『超時空要塞マクロス』(毎日放送=TBS系)が人気を集めました。

これらの作品の登場で、アニメは、三段跳びの勢いで一気にファンを拡大していきました」

OVAの登場で二層化したアニメ市場

――それがなぜ、1984年に終焉を迎えたのですか?

藤津:
「簡単に言うと、ポスト『マクロス』を狙った作品がヒットしなかったからです。

当時はスポンサーの影響力が強かったので、視聴率がとれないと一気に方針転換を迫られます。

そこでターゲットを低年齢層とファミリー層に絞って、キッズアニメやファミリーアニメが作られるようになりました。

1985年の『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』(日本テレビ系)、小学生に人気だった漫画雑誌『少年ジャンプ』(集英社)の原作もの――『北斗の拳』(1984年、フジテレビ系)など――です。

この方向変化は、子供層にちゃんと響いた一方で、第1次アニメブームを支えていたアニメファンがTVアニメから距離を置いてしまう結果になりました」

――離れたファンはどこへ行ったのですか?

藤津:
「彼らが好んで見たのは、OVA(Original Video Animation:セルまたはレンタルが目的の商業ビデオ作品)です。

テレビ放映作品からは離れ、ビデオに向かったわけです。OVAは、1983年に発表された『ダロス』(鳥海永行=押井守監督、バンダイ)が第1号とされています。

このように当時の日本のアニメでは大雑把にいうと、テレビ放映されるファミリー向けキッズアニメと、マニアックでハイターゲットなOVA作品という二層化が起きました。

これは単なる二層化というだけではなく、今から振り返ると面白い現象の現れだったことがわかります」

――なんですか?

藤津:
「1980年代後半のキッズアニメに親しんだ世代は、だいたい1980年前後に生まれています。

この子供たちが、中・高生になった時に『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年、テレビ東京系)を中心にした第2次ブームが起きるんです。

そう考えてみると、1960年前後に生まれ、本格的TVアニメ第1号である『鉄腕アトム』(フジテレビ系)などとともに成長してきた世代が中・高生になった1977年頃に、第1次アニメブームが起きた流れとそっくりです。

つまり、『1960年→1977年』、『1980年→1995年』という約15年を1周期とする2つのサイクルが、2回のアニメブームの背景にあるのです。

しかし、その後はアニメビジネスの構造が大きく変わって、アニメブームそのものの定義が難しくなってしまいました。

つまり、『1960年→1974年』、『1980年→1995年』という2つのサイクルが、2回のアニメブームの背景にあるのです。

そして、その後はアニメビジネスの構造が大きく変わって、アニメブームというものをなにをもって定義するかが難しくなってしまいました」

――今回のインタビューでもっともお聞きしたいのがその点です。エヴァ以降、いったい日本のアニメはどうなったのでしょうか? 次回その辺りについてお聞きしたいと思います(つづく)。

アニメブームを振り返る |アニメ評論家・藤津亮太 第1回
激動の90年代アニメを振り返る |アニメ評論家・藤津亮太 第2回
これからのアニメ業界はどうなるか? |アニメ評論家・藤津亮太 第3回

取材・文/鈴木俊之、写真/荻原美津雄、取材・編集/設楽幸生(FOUND編集部)

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